それぞれの美を求めて -Rolling days考察-

川島如恵留さんはどんな想いを込めて「Rolling days」という曲を「innocent(美)」というテーマに組み込んだのか、と考え(発狂し)続けていたらあっという間にツアーが終わりました。のえちゃか厨のもこです。

元々櫻井担としてジャニオタ人生を歩んできた私はセトリを見て暴れ回り、のえちゃかユニであることを知ってまた暴れ回り、MC中に2人仲良く掃けようとするところを「嫌だーーーーーー😭😭😭😭😭😭😭」と反抗し、「後半戦盛り上がっていけますか!?」の問いに「無理です!!!!」と元気良く答えていました。ただ「自担が自担のソロをやる」というだけでオタクは瀕死だと言うのに、如恵留さんはそれ以上のものを出して来ました。Rolling daysが美の国?聞いてた話と違うぞ。

圧倒的な世界線の構築具合。ちゃかぱらから続くストーリーであることは明らかで、考えなしとは思えない。そして「宮近くん側から如恵留とやるならこの曲」と打診があったのにも関わらず、なぜ如恵留コーナーに組み込まれたのか。そしてRolling daysは「不倫の曲」なのに、なぜ「美」というテーマの中に選ばれたのか。テーマ先行にしても、曲先行にしても疑問が残る。如恵留さんがわざわざコーナー終わりに挨拶の時間を設け、伝えたいことを話すのに、雰囲気が好きというだけでは曲を選ばないだろうから。「美と言っても、矛盾するような歌詞があるんですよ、そういうのを皆さんの中で感じていただけたら」(4/5 大阪夜公演)とか言うし。

聞けば聞くほど、見れば見るほど「かっこいい」という感想では語れなくなっていくのです。この選曲には確実に意味がある。

 

まず、如恵留さんにとっての美の定義とは何か。

 

「美の国」としていながら英語ではInnocentであり、Beauty ではない。ここに如恵留さんの美に対する強い意識があると思いました。そして夢ハリ前では「純粋で無垢な真実」と言う。如恵留さんにとっての美は私が定義する、如恵留さんの綺麗なお顔を目の前にして口にしてしまうようなあの「美しさ」ではないのだろうと思います。

6/17 夜公演では「こうして僕たちと、皆と、一つの会場で、一つの思い出を作れるというこの事実が、とっても綺麗なことだなって、美しいことだなって、思うんです。」と話していました。また、如恵留さんはこの挨拶において、「それだけでいい、それでいい」と繰り返す印象がありました。自分の考えを歪めたり、加工したり、誰かのために変えたり、そんなことをしなくたっていい。今もうここにある「事実、真実」が既に美しい。これが彼が伝えたかったことなのではないか、そんなことを思います。

 

先程も書いたように、Rolling daysは不倫の曲です。櫻井くんのソロの時として聞いていた時、それは「人妻と不倫する男」の一視点からのものでした。しかしながらコンサートではドラムラインのパフォーマンスがメインで、明確な解釈はありません。「僅かな光の強さを見せよう」「もう離れなくていいんですよ」という歌詞から「不幸な環境に置かれた妻と、そこから救うヒーローのような存在である不倫相手が両思い」という説が有力だったように思います。そして「女性と不倫相手が結ばれることが幸せである」と感じずにはいられません。宮近さんの単独でのサマパラ演出を見ると尚更そう思います。多くの敵を倒し、血を流してまで、闇の中から彼女を救おうとするように見えてしまう。

 

今回ののえちゃかRolling daysでは、看守の如恵留さんが「旦那」、囚人の宮近さんが「不倫相手」の役回りではないかと考えています。そして完成形とも言うべきこの演出を見てようやく気付きました。「本当に不倫相手が正義なのか?」と。如恵留さんの表情と歌割りからは彼女をまだ愛しているように見えます。「そこにしかない輝きを君の指に飾った」のは紛れもなく結婚相手であり、それは如恵留さんで。彼女が不倫したことに気付いていながらも宮近との関係は「一時の快楽」であり、夫婦生活に「終わりなんてないはず」と思えるほどに彼女を愛していたのではないかと考えるようになりました。そしてやはり看守は正義であり、囚人は悪である、という解釈があります。しかしながら、「それでは宮近さんが悪なのか?」というと、それも違う。闇の中から彼女を救いたいという想いは変わらないのだから。

 

最初にRolling daysの考察を始めた時、「一つの価値観では語れない、深く考えなくてはならないもの」と思っていました。でもこうやって、今一度如恵留さんの挨拶を思い出して、つなぎ合わせてみた時、彼が伝えたかったのは「深いもの」ではないのかもしれないと思い直しました。

そこにあるのは「二人の男性が一人の同じ女性を愛していた」という事実。「人が人を愛した」という事実。それは美しい以外の何物でもないでしょう?というようなメッセージだと考えています。純愛だけが尊ばれるべきものなのか?愛は愛ではないのか?「純愛」かどうかなんて誰が決めるの?と。

 

Rolling daysという「不倫曲」を通して、誰が悪とも責めることが出来る状況で、それぞれの立場に立って考えた時に、どれも各人にとっての善であることを気付かされ、さらには「善悪と定義すべきものでもない」と気付かされる。

如恵留さんにとっての美の答えはきっと「純粋で無垢な真実」です。そこに誰の解釈も、価値観も、善悪も含まない、ただ目の前にある真実。

でも私の今までの人生においての「美」は全て私の価値観や、周りの人の言動で決められていました。例えば、クラスの子達が私を「ブス」と呼んだから、私は可愛くないのだと今でも呪縛に苦しめられています。でもそうじゃない。他の誰かの価値観も、私自身の考えも関係なくて、「私が今の私の姿で存在しているという純粋な真実」が既に美しいのだと彼は伝えてくれていると思うのです。考えれば考えるほど、私にとって「美の国」はこれからの人生にとっても救いになると思っています。「僕らずっと共に生きよう」と言ってくれたことも含めて。

 

みんな一人ひとりが、美しい、自分だけの想いを抱えて、これからもずっと、幸せに生きていける、そんな世界を夢見て。

 

最初、Rolling daysは「美の国」にそぐわないのではないか?と考えながら書き始めたものでした。如恵留さんがオーラスで話したこの言葉にこんなにも当てはまるものだと思ってもいませんでした。上手くまとまらなくなってしまったけれど、こんな繊細で思慮深い如恵留さんが心から幸せに生きていける世界が、私にとっての幸せであり、夢の世界だと思っています。はじめての全国ツアーを共に過ごせたこと、忘れません。ありがとうございました!お疲れ様!

 

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そして!ここまでが8/14更新のえまるを読むまでの文章です!(既に2400字)

こののえまるが更新されなかったら一生このブログは世の中に出なかったと思います。勢いって大事!

原曲大好きなので「不倫曲」であることに重きを置いていたのだけど、思ったよりも看守・囚人の関係性の解釈もメインで、はたまた「王と反逆者」という新たな解釈もあって、面白すぎるし私も考察厨としてまだまだだな、、、と思いました。いや、絶対に不倫曲としてのディスカッションも重ねていると思いますけどね!?のえちゃかが二人きりで不倫について語る激エロ空間が存在した世界線を諦めません(泣)

また私の解釈として、看守の長棒は「妻(彼女)」の象徴なのかと思っていました。宮近さんが指でなぞって奪い去るあの感じ。考えすぎかもしれないと思っていましたが、「愛の具現化」としての解釈が許されるのならいいのかもしれないと思っています。一度そういう目で見てほしい。

 

そして私は「事実・真実」という部分に重きを置いて、如恵留さんの「美」について考察をしていました。でももっと「信念・想い」という部分における「美」もRolling daysの演出には含まれていたんだなぁと今回ののえまるを通して気付きました。信念や想いは人には見えないし、その人の経験と、その経験を持って得た価値観によって大きく変わっていくものだと思っています。その全てを受け止めて「美しい」と思える如恵留さんの姿勢にさらに惚れ直してしまいました。だいすきだな〜〜〜〜〜😭

 

勝手な想像でRolling daysを語りすぎてしまっていて、公開すべきものかと迷っていたのですが、「イマジネーションで感じ取ってもらえたら大成功!」と言ってもらえたので、公開してしまおうと思います。全然正解ではないと思います。しかしながら不正解でもないのかもしれない。私がこれから沢山の人と出会って、大人っぽい恋愛を経験出来たら、また解釈も変わるのではないかと思っています。そんな時を楽しみにしながら、この文章を残します。結局3600字。お付き合いいただきありがとうございました!♡

 

 

も 仔 ( @noemaru_1122 )