いま、きみを好きになれてよかった

 

【貴方にとってのアイドル】ってなんですか?

 

突然大好きなアイドルに投げかけられた私は、アイドルは「鏡」だと思った。

 

鏡は毎日使うものだけれど、

小さい頃、おままごとで使った小さな鏡は、いつか使わなくなる。

手鏡はいつか割れる。

ずっと洗面台にあった鏡も、引越しをすれば、その鏡ではなくなる。

 

永遠にみえて有限で、強くみえて脆い。

アイドルはそんな存在だと思う。

 

でもずっとわたしの目の前にいてくれる。

わたしが、どうやってお化粧をしたらいいか、どんな表情が一番かわいく見えるのかは鏡が教えてくれる。

キラキラと、上手く生きていくために、鏡はそこにあって、ずっとわたしを映し出している。

 

アイドルと鏡は似ている。

担タレ、という言葉だって、アイドルが鏡だからなんじゃないかと思ったら妙に納得した。後付けだけど。

 

 

世の中には沢山のアイドルが居る。

おバカキャラ、硬派、オタク全開、作詞が得意、甘い台詞が得意。

そしてそんな中から、たったひとりを見つける。

それは私がなりたい姿を、見つけることと同義だと思う。

「沢山笑ってる自分でありたい」

「ちょっとだけ強くなりたい」

「好きなことに全力でいたい」

「自分の感情と向き合いたい」

「かわいいお姫様みたいになりたい」

きっとこれらは人によって違うから、みんな好きなアイドルが違うんじゃないかと、

そして、成長に合わせてなりたい自分も変わるのだから、「沼落ち」や「担降り」があるのではないかと思う。

それぞれが、その時々に合わせて、「彼を見ているとなりたい自分になれる気がする」というように、願望を叶えてくれるアイドルをそれぞれ見つけていく。

 

鏡があってはじめてお化粧が上手くできるように、

アイドルがあるからもっと好きな自分に近づける。

私にとってのアイドルは、そんな存在。

 

 

如恵留くんと私は(おこがましいけれど)少し似ているところがあると思っている。

頭がいいキャラなのにバカなことも全力でやりたがるところ、それがたまに突き抜けすぎて心配されてしまうところ、活字を読むのが好きなところ、文章を書いて伝えることが好きなところ、愛が重たいところ、「自分が居ないと回らないようにしたい」なんて思ってしまうところ、ちょっと面倒くさい考え方をするところ。

これは私が自分の中でずっと好きじゃなくて、できることなら直したいと思っていた部分だった。

 

でも、如恵留くんを好きになってから、「これでいいんだ」と思えて、なんならちょっと長所のようにも思えてきた。

 

如恵留くんが私の「鏡」になってくれたから。

如恵留くんが私の目の前で、上手に、綺麗に笑っている。

如恵留くんが「私の為に生きている瞬間」に、「ならば私も大丈夫だ」と強く思える。

共依存なんだと思います。万々歳です。

ところで、アイドルを鏡とするならば、お互いがいないと機能しないわけじゃないですか。

めちゃくちゃ共依存っぽくていいですよね。これもまた後付けだけど。そして共依存ルート好きの如恵留担にしか良さが伝わっていない気がするけど。(わたしの仲良しの如恵留担たち、君たちに言っています、聞こえてますか?いいですよね?(圧))

 

そして、大好きな彼が報われる世界なら、なりたい自分も報われると信じたくて、

ただの「好き」からお金を払ったり、要望出したりなんていう「応援」という形に変化するのだろうと思う。

 

 

でも私はとても面倒な性格だから、いつか「担降り」する時のこともふと考えてしまう。

「彼が変わってしまった」と怒りたくなるかもしれないし、

「彼は悪くないのに、なんだか見ていると苦しくなる」と泣きたくなるかもしれない。

私は往々にしてアイドルを人生の道標のように思ってしまうから、そんな時が来たらきっと戸惑って大騒ぎしてしまう。実際、今まで何度も大騒ぎしたことがある。

 

でも、冷静に考えてみると簡単なことなのかもしれない。

彼がまた新しい一面を持ったことによって、彼という鏡が持つ光の屈折具合が変化して私とは合わなくなったのかもしれないし、

自分が成長して、なりたい私が変化して、求めるアイドルも変わっただけかもしれない。

 

きっと、どっちが正しいとかではなくて、シンプルにお互いの成長の過程で生まれてしまうものなんだと思う。

鏡は永遠に見えて有限であり、強く見えて脆いものだと、忘れがちだけど、それは事実で、それはアイドルも同じ。

 

でもそれ以上に忘れずにいたいのは、担降りしたとしても、今までの毎日が無駄な訳ではない、ということ。

 

「私が好きだった一面」が偽物のように思えたとしても、そのアイドルを好きだった自分は、輝いていて、楽しかったのだから、充分なのだと思う。

その人のおかげで成長出来た自分だけは、偽物じゃないから、安心していい。

今までありがとうの気持ちを込めて、大事に、使うことのなくなったその鏡を思い出の小箱にしまってあげたい。

 

そんなことを考えながら、いつか如恵留くんとの別れも訪れるのかもしれない、とぼんやりと思う。

でも、それで構わない。

 

自分の嫌いだった部分をちょっと愛してあげられるようになれただけで、如恵留くんを好きだった日々は無駄じゃないから。

どうしようもなく辛くなった時、「生きてるだけでえらい!」と言ってもらったことをきっと思い出すと思う。

それは90歳のおばあちゃんになった時かもしれないし、その時それが如恵留くんの言葉であることを思い出せるかは分からない。

でも、そうだとしても、川島如恵留という存在は間違いなく、私の人生にプラスだったと思う。

 

好きじゃなくなったとしても、川島如恵留と出逢って、「鏡」のように向き合って、自分に変化をもたらすことが出来た私は、紛うことなく幸せ者だと自負しています。

 

 

どうしよう、担降りブログみたいな流れに行き着いてしまったな…🤔

 

そして非常に分かりにくい例えで話し続けている、何者でもないオタクの「アイドル論」をここまで読んでくれている方はいるんだろうか…🤔笑

という訳でもうちょっとで締めます。(笑)

 

私にとって、アイドルは「鏡」です。

 

鏡であるアイドルは

なりたい自分を叶えてくれる存在で、

 

鏡であるアイドルは

自分をさらに愛せるように変えてくれる存在で、

 

鏡であるアイドルは

ずっと目の前にいるのに、触れられない存在。

 

でも触れられないからこそ、

会える時にダントツで可愛い自分でいたいと思う。

実際会場にいるみんな、ダントツいつもより可愛いよ!!!(大声)(お友達だいすきマン)

でもそれが何故かって、可愛く仕上がるのはアイドルという存在がいてくれるからだと思うんです。

お化粧の時、どんなデパコス使っても、鏡が無かったら酷いアイラインしか描けないんだから。

きっと鏡が無くても、生活は出来る。

でも鏡があるから、わたしは自分のことを知って、可愛くなれるし、可愛くなることを楽しめる。

 

自分を変えてくれて、

愛せるようにしてくれて、

可愛くなろうと思わせてくれて、

可愛くしてくれるのが、

私にとってのアイドルです。

 

 

今日も強く、楽しく、女の子でいられるのはきみのおかげだよ。

改めて、アイドルでいてくれてありがとう。

いつも私を想ってくれてありがとう。

今日もきみが健やかでありますように。

 

いま、きみを好きになれてよかった。